大杉神社 : あんばさま総本宮 夢叶え・厄除け・金運・財運・祈願 :

あんばさまとは?

現在も多くの地域からの参拝者がございますが、厄除け・八方除け・星除けを中心として、夢むすび、交通安全などの祈願に訪れる方々が後を絶ちません。また末社、大国神社には金運をもとめて参拝される方々、勝馬神社には競馬関係者をはじめ、競馬ファンの方の参拝が多くございます。さらに相生神社は子授けにご利益があるとされ、子授棒を求めて来られる方がたくさんおられます。

『常陸風土記』に登場する「安婆嶋 – あんばさま」

大杉神社の鎮座する場所は現在の霞ヶ浦、常陸川、利根川下流域、印旛沼、手賀沼、牛久沼、鬼怒川下流域、小貝川下流域を内包する常総内湾に西から東に向かって突き出すような地形のほぼ突端に位置していました。『常陸風土記』には安婆嶋として登場しますが、半島状地形にもかかわらず、半島先端に比べ、かなり西側でくびれた地形をしていたため遠映としては島状の様子を呈していたため、安婆嶋と呼称されたといわれております。

大杉神社の巨大な杉「安婆嶋 – あんばさま」

この一帯はかつて菟上之国という霞ヶ浦東岸域と東総域を治めていた小国の一部であったと伝えられております。菟上国は海上国とも表記されるように常総内湾の交易、産物を中心として成立した小国であったようですが、こうした影響からか常総内湾においてランドマークの役割をはたす、大杉神社の巨大な杉は「あんばさま」と呼ばれ、常総内湾の人々の信仰の対象であり、人々の交通標識の役割を十二分に発揮していたと考えられます。後に内湾の西にあった茨城国に支配されるまでは菟上国のもっとも重要な神社であり、菟上国造の祀る神社のひとつでありました。その後北方の仲国から南下してきた一族が鹿嶋、香取の両神社を築き、東岸域を支配するとその交易権や、支配権は移譲されたものの、一般民衆の間では依然として海河守護の神様としての信仰は温存されつづけられました。

「ねがい天狗」「かない天狗」

神護景雲元年(767)当時都が置かれた大和国(現・奈良県)を旅立った勝道上人は、下野国二荒山(栃木県日光)をめざす途上にあり、大杉神社に着くとそこで病苦にあえぐ民衆を救うべく、巨杉に祈念すると三輪明神(奈良県三輪の大神神社)が飛び移り、病魔を退散せしめたところから、やがて大杉大明神と呼称されるところとなりました。 この大杉神社を御守護申し上げるべく延暦二十四年(805年)には別当寺として安穏寺が開基され、以降明治になるまで大杉神社は安穏寺の管理するところとなりました。文治年間にはその容貌が巨体、紫髭、碧眼、鼻高であった常陸坊海存(海尊)が大杉大明神の御神徳によって、数々の奇跡を示したことから、海存は大杉大明神の眷属で、天狗であるとの信仰へと発展いたしました。当初は烏天狗を御眷属としておりましたが、後に陰陽一対として鼻高天狗、烏天狗の両天狗を御眷属とすることとなりました。現在ではいかなる願いも叶えて下さったと伝えられる海存の奇跡に由来して、大杉神社を日本で唯一の「夢むすび大明神」と称し、鼻高天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は「かない天狗」と呼ばれるようになりました。時代は下って、江戸時代初頭には当時江戸崎不動院(稲敷市江戸崎)にあった天海に雨をもたらす奇跡を与えた神社として知られ、以降天海は安穏寺の住職となり大杉大明神に仕えました。このため安穏寺および大杉神社は天海が住職を務める、上野寛永寺や日光輪王寺の直兼帯となり、明治になるまで輪王寺宮の兼帯するところとなりました。

海河守護の神様としての信仰

家康の江戸入府以降それまで東京湾に注いでいた利根川の河川改修により、銚子へと流路を替えた利根川は、水郷流域と江戸を結ぶ河川として流域は急激な発展を遂げ、海河の守護神としての大杉神社もまた急速な信仰域の拡大を遂げることとなりました。それまでは常総内湾域であった信仰域は利根川流域のほぼすべての河岸や流域にとどまらず、鬼怒川、小貝川をはじめ、これらに注ぐ多くの川の流域や、各河岸に通じる街道周辺にも拡大。さらに太平洋岸から日本海へと海民の移動と共に信仰が拡がり、盛時には北はカムチャッカ近くの千島列島から新潟にいたる日本海側のおもな河岸、漁港など。また千葉、東京を経て静岡いたる太平洋岸の地域、先述の河川や多摩川、養老川、小櫃川の流域など、かなり広範な地域に信仰がもたらされたことが知られています。

「あんば囃子・大杉囃子」

この信仰の流布にともない、「悪魔払い囃子」と称された芸能も各地に広まり、それぞれの地域で独自の展開をみせ現在も多くの地域で伝承されております。大杉神社の鎮座する稲敷市阿波では地名を採って「あんば囃子」と呼んでおりますが、多くの地域では「大杉囃子」「災禍囃子」などと呼称されております。元和三年(1617)に銚子の田中玄蕃が醤油の醸造の成功祈願の御礼として、十二座神楽とともに紀州より伝えられたのが初源とされております。十二座神楽は椿海の干拓成功とともに千葉県旭市を中心に広がりましたが明治末期に旭市で廃絶した際には再度当社より伝承し、昭和初期に一部の演目が絶えた際には大杉神社に逆伝承されました。

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日本唯一 夢むすび大明神 総本宮 大杉神社 あんばさま

〒300-0621 茨城県稲敷市阿波958番地
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主祭神
◆ 倭大物主櫛甕玉大神
(やまとのおおものぬしくしみかたまのおおかみ)
配祀神
◆ 大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
◆ 小彦名大神(すくなひこなのおおかみ)

 

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