大杉神社 : あんばさま総本宮 夢叶え・厄除け・金運・財運・祈願 :

あんば囃子の流行

海河の守護神として広まる信仰

家康の江戸入府以降、それまで東京湾に注いでいた利根川の河川改修により、銚子へと流路を替えた利根川は、水郷流域と江戸を結ぶ河川として流域は急激な発展を遂げることとなりました。これにともない海河の守護神として、大杉神社もまた急速な信仰域の拡大を遂げることとなります。それまでの信仰圏であった常総内海域にとどまらず、鬼怒川、小貝川をはじめ、これらに注ぐ多くの川の流域や、各河岸に通じる街道周辺にも拡大していきました。太平洋岸から日本海へと海民の移動と共に信仰が拡がり、盛時には北はカムチャッカ近くの千島列島から新潟にいたる日本海側の河岸、漁港などにも広がっていったとされます。また千葉、東京を経て静岡にいたる太平洋岸の地域など、かなり広範な地域に信仰がもたらされたことが知られています。

あんば囃子を事業成功によって奉納

「あんばの方から、吹く風は疱瘡が軽いと吹いてくる。ア ヨーイヤサ ヨー ヨーオイ ヨーイーヤアーサー」、この疫病退散のお囃子が「あんば囃子」です。信仰の流布にともない、「悪魔払い囃子」「大杉囃子」とも称される「あんば囃子」は各地に広まっていきました。江戸の町でたびたび大盛況となり、とくに疫病の流行る初夏には祇園会と習合して各地で、「あんば囃子(悪魔払い囃子)」が演奏、踊られるようになりました。あまりに喧騒であったことから、禁止されることもありましたが流行はおさまることはなく、関東一円から東北の太平洋沿岸部では、たいへんポピュラーなお囃子になっていたことが知られております。

「あんば囃子(悪魔払い囃子)」は、元和三年(1617)に銚子の田中玄蕃が醤油の醸造の成功祈願の御礼として、十二座神楽とともに紀州より伝えられたのが原初とされております。いっぽう十二座神楽は椿海の干拓成功とともに千葉県旭市を中心に広がりましたが、明治末期に旭市で廃絶した際には再度当社より伝承し、昭和初期に一部の演目が絶えた際には大杉神社に逆伝承されました。

*大杉列伝
田中玄蕃(後のヒゲタ醤油の創業者)に代表されるように多くの実業家が大杉神社で創業の志を立て、事業安泰の祈願をして成功を遂げました。玄蕃と同じく醤油醸造で成功した髙梨兵左衛門や茂木七左衛門も創業の志を大杉神社で立て、のちにキッコーマンへと発展。國分勘兵衛は土浦で醤油醸造をはじめ、後にK&K、国分として発展いたしました。このように創業の志を立て、商売繁昌、企業安泰の神様として多くの実業家が信仰する神社としても知られております。

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日本唯一 夢むすび大明神 総本宮 大杉神社 あんばさま

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主祭神
◆ 倭大物主櫛甕玉大神
(やまとのおおものぬしくしみかたまのおおかみ)
配祀神
◆ 大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
◆ 小彦名大神(すくなひこなのおおかみ)

 

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