大杉神社 : あんばさま総本宮 夢叶え・厄除け・金運・財運・祈願 :

水子供養 大杉神社に葦船神社が再興

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古来、数え7歳までの子どもは神の子とされ、7歳になる前にこの世から旅立っていった子は神のもとへ帰ったとして葬式をせず水子として祭られることが多かった。

大杉神社の鎮座する一帯でも、そうした子たちすべて水子として丁重に祭った。かつて常陸内湾(江戸時代初頭まで広がっていた利根川か流域、印旛、手賀、牛久沼流域、霞ヶ浦域)に面していた大杉神社には、水子供養のためこうした地域から多くの人々が参詣に訪れていた。

数え7歳にいたらずにこの世を去ってしまった子らを祭ったのが、「葦船社(あしふねしゃ)」あるいは「蛭子社(ひるこしゃ)」と称された神社。

我が国で、水子の原型とされているのが蛭子命(ヒルコノミコト)と称される神様で、別名エビス大神。あの世へ葦の船に乗せたれて旅立った後、父・伊弉諾命(イザナギノモコト)と母・伊弉冉命(イザナキノミコト)のために富を宝船に乗せて帰ってくるという伝説があり、恵比寿像は必ずと言っていいほど宝船に乗り小脇に鯛を抱える図で描かれている。こうした伝承もあり、水子を祭ることは一家の繁栄と安泰をもたらすとして、江戸時代には多くの地域から大杉神社境内の葦船社に参詣したことも知られている。

大杉神社では、廃絶に近い形だった葦船社を「葦船神社」として再興、間もなく完成の時を迎える。御祭神は、水子を守護する蛭子命と冥界を守護する大国主命。実際の愛情を注いであげられなかった子を想う、水子を持つ多くの人の思いを取り入れた社殿になっている。

慰霊のための落ち着いた雰囲気の中にも贅を尽くした作りを―社殿外部は黒に銀で模様が描かれ、内部は天井に様々な花が描かれ華やかな趣がある。


水子御霊の鎮祭(みずこのみたまのちんさい)について

古代においては死産や幼子の死亡率は極めて高かったと思われ、七歳までは神の子であるとした信仰が日本各地に近年まで存在していました。大杉神社の氏子地域でも昭和の終わりごろまで「取り子」という風習があり、神様の子供にまで死神は手を出さないと考え、生まれた子供を七歳まで神様の子供として神社に届け出ることによって難を逃れようとしていました。このため七歳までに亡くなった幼子は、死産、流産の子を含めて水子と呼ばれていました。 神の子である水子を祀ることは、子の生家である家や、生母である女性に多くの幸福をもたらすとされてきました。 多くは毎年水子様の命日(亡くなった日、流産した日、中絶した日)や、春と秋の彼岸(春分・秋分の日)に水子様の御霊を鎮祭(供養)のため鎮祭の祈祷(供養)をしたり、追祭標(塔婆)を水子尊像に捧げることをします。


鎮祭(供養)のしかた

命日には正月命日(しょうつきめいにち)と月命日(つきめいにち)があり、水子さまが亡くなった月日を正月命日といい、亡くなった日を月命日と呼びます。たとえば平成23年 4月3日が亡くなった日であるとすれば、毎年4月3日が正月命日ですし、毎月3日が月命日と いうことになります。 また春と秋には彼岸があり、日本では古来先祖を祀る時期であるとされてまいりました。彼岸は現在では春分の日、秋分の日と呼ばれこの日を中日として前後三日を加えた七日間が彼岸に当たります。 水子さまには正月命日、彼岸には欠かさず鎮祭(供養)を捧げます。また月命日には 心の中に亡くなった水子さまの安鎮を心から願っていちにちをお送り下さい。

鎮祭祈祷(供養)……神職が祝詞を捧げ、玉串を奉奠して水子さまの安穏と父母家族の幸福を祈ります。

追祭標(塔婆)による鎮祭(供養)……追祭標を水子尊像に捧げ、水子さまの安穏を祈ります。

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